気分は常々(じょうじょう)

晴れても雨でも今日はやっぱり素晴らしい!考え方ひとつで気分は常に上々!

過猶不及…😁😊😄

「お客様は神様ではない」 秋田のバス会社“クレーマー反論広告”に見る、カスハラ被害の深刻さ 暴言は拳よりもタチが悪い(Merkmal) https://news.yahoo.co.jp/articles/d68635fece86dd07b4718ae2318f8ccdf1cd44ca

 

「子曰、過猶不及」…子いわく、過ぎたるはなお及ばざるがごとし。論語の一節で、子とは孔子のことです。やり過ぎはやり足りないことと同じです…と教えてくださります。

 

サービスの語源はserve(仕える、召使)だと言われます。つまり奉仕でありますから奉仕した側も受けた側も本来、喜びや感謝があったほうが健全です。してくれてありがとう、喜んでくれて良かった…という摩擦の無い関係ですね。海外ではそれを明確に示す為にチップという文化があるので、サービスに対しての受けた側の評価と提供した側の喜びが明確に生まれます。サービスに対しての価値基準がその場で取引されるのです。

 

あぁ、このお客様にはこのサービスはこの価値なんだな等、実際の商品の価値値段とは別になっているので、これは商品とサービス双方の切り分けも効くのです。サービスに対しての評価が低いと、サービスを提供した側があからさまに不満顔する時もあるようで、これはこれで受けた側も勉強になりますよね。あ、そうか他の人はもっと評価してるんだ…と笑

そうやって健全にサービスの概念が成長していくのが海外文化。

 

ところが、その文化の無い日本ではまるでサービスされてもその商品価値価格の一部といて取り込まれて要るようかの錯覚が蔓延しているのですね。

 

だってこの記事を例えにバスやタクシーに乗れば、乗車場から降車場に無事に運んでくれればその運賃を払ってハイ取引終了ってのがそもそもの取引基準です。

 

サービス業なんだからとか居心地をもっと良くしろとか、そういうのは企業ができないというならできる企業を選ぶしかありません。

 

逆に言えばそういうことが理解できないお客様との取引を回避するのも企業の権利なんです。

 

せめて、バスやタクシーで運転手に「快適な移動ができたよ、君はとても安定した運転をするね、ありがとう」と500円でも握らせてあげなさい!企業がそれを認めるなら、そりゃ運転手も喜んで快適サービスを意識上げてやるって!笑笑

 

お客様を勘違いさせてしまったのはそもそもの商品価値を磨くのではなく、そこにサービス過当競争の末、当たり前と勘違いさせてしまった企業側にも責任があるのです。だから、できるところとできないところを明確にして差し上げるのはとても重要なことであります。

 

もっと快適を求めるならば、そういう商品や企業を探して利用すればいい。当然、当然、割高ですよ笑

 

そりゃ説明要らんでしょ?笑笑

 

逆に言えば、過ぎたるかのようなサービスで評価を得ている企業は、当然その対価をちゃんと回収しているのです。

 

安いものを買って、人並み以上に文句言う輩は、神様はおろか、もはや(ウチの)客でもありません。

 

と、毅然とした対応を必要とする時代だと私は思います。

 

今日はここまで😊👍