「体裁より本質を重んじ
三方に利益を
妥協より納得を尊び
言うが如く行動を」
我が社の経営理念である。
考え方は多様であっていい。
私のクライアント企業における経営理念は、もう痺れるほどの潔さが溢れる言葉の綴りであるが、純朴なスタッフが集まる企業であるが故、分かりやすさが芯にあって迷いが無いと言えよう。
見事であるが故に奥行きもまた果てが無い。
一方において、我が社の主事業におけるスタッフは、脳ミソの中にある優しさという鞘に納められた剣が、何かといえば直ぐに光を示しだして、可愛げの無い突き方で擦り傷を残していくという、ガチッと締め上げておかないとややこしいことを面白がるクセの強い大人が集まりやすいことは否めない。
だからこそわざとらしく小難しい指針を以て深めの真意を探させることにしている。
単純な因数分解をすれば、その内容は何も難しくも深くもないのだが。
このブログを教えていないだけに、知られるとまたしてもなんでなんでの追い込みをかけられることであろう。
知らんけど。
さて、今日はなんとも歯がゆい出来事に遭遇した。
常に目を配られながらその一挙一投足を図られたならば覚悟のしようもあろう。
先に述べたが、人の考え方、感じ方は多様で良い。いや多様であるべきとも言えよう。
しかし、それは万人がその本質、真意を共有できるようなめでたい内容なら良いが、例えば誤解、例えば不本意、例えば誤認識ならば、これは誰であろうと一旦は表明するべきである。いや表明しなければならない。
結果がどうあれ、頑張ったことが本質ならば、足らないかもしれないが全力で取り組んだならば、もっとできたかもしれないが、とはいえ決して手を抜いていないならば…
ちょっとだけ一部の雰囲気を全体像とし(つまり肌感で)やる気ないように見えると言われようが…
暗く感じると言われようが…
本気を感じないと言われようが…
本当に今日という1日を本人なりに過ごせたというのならば…
もちろん捉えられ方がそう見えたとするならば、こちらに非もあることだろうと詫びつつも…
やる気はあります!
良い時間を得ました!
後悔はありません!
等々の言葉添えにて、最低限自分で感じた本音を自分自身で決めて発することができないものか!
昭和生まれの部活と言えば…
やる気があるのか!
はい、あります!
まだやるのか!
まだやれます!
本気でやるんだな!
はい、本気です!
と即答しないとすぐにボール拾いにまわされたものだが、これこそ昭和ってことなのか。
では、ボクシングで例えるとどうだ。
幾度かダウンから立ち上がった時にレフェリーから
大丈夫か?やれるか?
と聞かれたら
やれます
やります
と答えるものだが、ここで棒立ちして返答しなければ試合は止められるぞ!
ダウンとされる!
後で後でと、とにかく言えばなんとかなるのは、それだけ保護の傘下だからである。
現場で強烈な即時対応を求められたら…そうだな、例えば火が上がって広がりそうなら…
会社や上長に電話しながらボケーっとしているのか?
先ずは消火活動!
先ずは避難活動!
そして各所連絡が本筋だろう。
先の事例も同じだ。
先ずは、誤解は解かねばならない。誤解でないのなら、まさに言われた通りが本質なんだから、それは自身がその責任をとらねばならない。
さぁ、どうなんだ!
届けるだけ届けた!
受け取るかどうか…そこはもはや私の手を離れていることだからこそなかなか相手方の両手を持ち拡げながら手中に置き直すことは難しい。
ダメ出しされるのは別に恥ではない。
頑張れたかどうかを聞かれて無言で立ち尽くすことは、何も生まない。せめてせめて次に繋げるチャンスくらい生んでみろ!
本当はそう思ってないけど、上長がそう言うならそうなんだろう。
本当は違うけど、上長は怖いからそういうことにしよう。
これでは、本当に上長、会社、巡りめぐって自分自身を守ることは到底できない。
噛みつくわけではない、反目するわけでもない!
いえ、私は精一杯やりました!やってこれです。それが足らぬのならお詫びしますが、私としては前進を感じております。
と伝えることが、何故上長にとっては悪い情報となると捉えてしまうのだろう。
結果においてのジャッジは上長の責任である。
一方、自分の気持ちにおいての正確なジャッジは、義務である。
その二報に対して整理成立させるのは教育者としての権限である。
これを三面等価という。
体裁より本質を
妥協より納得を
暗いねぇとか元気無いねぇと言われても、そこを凌駕する集中だったのならば、それは上出来なのである。本質はどれだけの深い時間を共有できているかを知らしめることだったのだ。
それならいいよとも、いやもっと表情にあってしかるべきとも、まさに何とした評価を言われようが、それは責任から振りだされた言葉!なんの悪気もなければ、いや増してこれは愛情である。
臆することなく、
はいわかりました!
で、まさに体裁も妥協もなくお互いに前に進めるのである。
決めるのは自分だ!
そして決めるのは義務だ。
決めたならばそのまま振りだせば良いのだ!
役割の中で、たくさんの無理難題やピンチが訪れることであろう。
その度、上長に相談するのか(できる時間はあるか)、今決めるのか(それだけ瀬戸際なのか)、後で処理するのか(時間を置くことも必要なのか)…たくさんの判断に追い込まれるのが責任者。つまりそれらのジャッジはすべて責任なのだ。
立ち尽くすな!長く迷うな!ここぞの時に無用な忖度をするな!
逼迫した時こそ、本質であり納得できる行動力が自らをも救うのだ。
泣くな、固まるな、瞳孔開くな!
自分が背負った期待を侮るな!
勝たなくても時にはいい、しかし完膚ない程に負けるな!
ほんっっっっとに…
もったいない!
磨けば光る原石(能力)はそれぞれに秘めている。
石の方じゃなく磨く方(布)が汚れているのだ。
その汚れとは
甘え、迷い、誤魔化し、驕り、怠け…である。
期待もされずその椅子に座れると思ったか?期待があるからこそその椅子に座っているのだ。それだけでアドバンテージはしっかり確保している。
ならば…ちょっとやそっとの揺さぶりに易々と倒されるな!
足らぬと思われたならお詫び致します。
しかし、得るものがあったかと聞かれるならば、大いにありました!ありがとうございます!
これが正解のひとつであろう。
自分が決められることを他の人に委ねるな!
何と言われようが、頑張ったならば…
頑張りました
の一択だろう!!
その本質と同化した気持ちを邪魔するものなどこの世には何も無い。それはつまり自分を大切にするという何よりもの納得なのだ。
自分の事くらい、自分自身が誰よりも推し活してやりなさい。
今日はここまで😶