「めくら判(盲判)」
書類を精査しないまま承認・決裁を意味する判を押す(押印する)こと、およびそのように精査せず押された印影のこと。決裁手続きが形骸化していることを端的に示す語として用いられる。
今は差別用語として使うべきではない表現となりましたが、ちょっと前までは普通に使っていた言葉です。
この行為自体は、今だ普通に蔓延(はびこ)っています。
ほんとに仕事と経費が増えるだけの所業です。
一方においては、効率やら削減やらと声高々に言っといて、何か事件や問題が提起されその解決案として書類作成が絡み、まぁだんだんと慣れてこの有り様に変貌すること…とにかくいくつも見てきました。
判子文化も結構ですが、その判子にしっかりと意味を持たせないルーティンは意味をなさないです。
脱判子と言いながら、飲酒やコロナ禍においての対応に、上場大手ですら未だま書類作成に判子要ですもん。とにかく1日判子10~20回は押す現場、私の回りにも結構あります。
サインじゃダメなん?って思いながら、私のシャチハタもインク補充がマメですやんw
押した判子も誰が確認してるのか?って思う程、縦に並ぶ私の名字にすごくデザインを感じますw
良くないのは、そのことすら気づかないで押す側も押させる側も、ただ押せばいい、押させればいい、みたいな感じになっていることがこの上なく残念。ひたすら再検することのない紙が増えていく無駄。
電子判子も注目されていますが、ただ押されていればいいってノリの書類はサインだけでいいんじゃね?って常にモヤモヤしております。
ま、そうなるとサインも要らねーってツッコミが聞こえてきそうですがw
今日は深夜に書類つくりしなきゃならなくてナチュラルハイになっているので気分転換のUPでして…w
今日はここまで😳👍