ダメな管理職は「自由を与えて苦しめる」、いい管理職は「何を与える」か?(ダイヤモンド・オンライン) https://news.yahoo.co.jp/articles/9e8633b9ced1812e8e17e7ca0762b365dca1306a
何が自由か不自由か、まして何がダメな管理職で何が良い管理職かというボーダーラインはどうあれというか、つまりはこの事例だけが全てではありませんが、ともあれ私は随分と前から申し続けていることがありまして…。
自由というものほど不自由は無く、不自由があるからこそ自由が生まれる…と。
みなさん驚かれるかもしれませんが、プランニングって、自由すぎる条件からはなかなか芯を捉えた提案って生まれないのですよ。ピントが合わせづらくて散らかしてしまうからです。
逆に、条件があればあるほど結果として構図が安定するのです。
管理者側って、伸び伸びと業務に取り組んで欲しいあまり自由という名の放置をついしてしまうのですが、これはなかなかシビアなことでもあるわけです。
好きにしていいから結果を出せ!と言ったら、完全に好きにさせて責任はその管理者が全面的に負うということが、その激しい自由への代償なのであって、これはなかなかギャンブルでもあるのです。一方において制限のある自由とは何か。
ドライブをするときに、行き先は決めるが行き方は定めない。交通ルールは守るが、車内での過ごし方は制限しない。下道で行こうが高速使おうが、旅費は決めるが使い方は決めない。音楽聞こうがおしゃべりしようがみんな交代で運転しようが構わないが、車内での飲酒はしてはいけない。
って、こういう制限付いているほうが、
じゃこーしようね、あーしようね、現地時間を優先して高速使おうね、帰りはのんびり下道使おうね、その分お土産に予算付けようね…。
と物事が進みやすくなるのです。
条件を提示しないのに、後出し的に
あ、それはダメだな、んーそこは違うな!と否定しちゃうと、人は躊躇したり萎縮したり顔色見たりして、どうしても前進を嫌います。これはやる気がないのではなく、防衛反応なのですね。
部下の気付きを成熟させるには、基本的な条件や前提を示し、そしてあえて悩ませる。そして悩んだ時間と思考が、次のステップの基礎になるということです。
上手くいって喜んだ、上手くいかなくて悔しかった、次はこうしよう、次はもうやめよう。
この気付きと経験値が、感性の餌になるのですね。まして先に管理者が結論をだすのはこの餌を取り上げること。取り上げるのならそれはそれでいいので、かわりに指示という餌を与えないと、心が栄養失調もしくは栄養の偏りとなってしまい、覇気の無い生きているのか死んでいるのがわからないような目で人を見る人間に育ってしまうわけです。
感性を武器にする個性もあれば、愚直に決められたことをコツコツと積み上げる個性もあります。
どちらのタイプなのか?どちらが適正なのか?どちらを求めているのか?これらの視野を背中に持って取り組むのは、トレーナーもトレーニーも同じ道であるということ。
遠足でおやつは好きなものを持って来なさいと先生に言われて、
の質問に、
君はバナナはおやつだと思いますか?
でもいいし、
君の家ではバナナはおやつだとお母さん(つまり保護者)に言われていますか?そこは家庭でのルールでいいですよ
でもいい。これは感性の磨き。
バナナはおやつに入ります(または入りません)!
というならばこれは愚直なタイプの人にはありがたい回答です。愚直なタイプのほうが実は切り替えは早いので、ならばこーしよう、あーしょうという次のステップへの思考が始まるスピードが爆速で、これは感性勝負の人間が見習うところです。感性高めの人は、やはり次から次へと涌き出る気付きに自らを縛られるところがあり、つまりこのタイプだと朝令暮改ということにどうしてもなりがちだということです。
色々なタイプの人間が手を取り合い形成するのが組織…そしてその組織が産み出すのがルール。ルールというものは実はいろんな姿に変わりながら自分達を守っているのですね。
それはタイプ云々ではなく、環境ということ。
役割(役職)が上がれば上がるほど、この環境というものの創造がお仕事となっていくのです。
環境創りにタイプ分けなど関係ありません。満遍ない個性達の住みかを形成するのですから、そこに君臨する概念は、やはりルールということでしょうね。
今日はここまで😁👍