気分は常々(じょうじょう)

晴れても雨でも今日はやっぱり素晴らしい!考え方ひとつで気分は常に上々!

店舗巡回の質…🧐😳🤔

多店舗展開している企業において、統括責任のある部署役職において店舗巡回は欠かせない業務のひとつです。

 

さて、ではその代表格であるSV(スーパーバイジング)ですが、いったいどのような動きや時間をもって行われているのでしょうか。

 

いや言い方を変えると、デキるスーパーバイザーとデキないスーパーバイザーの差とは…ってところにもつながります。

 

私見ですが、仕事柄それなりに多数のSVを見てきましたし、私の経験もありますので、自信もって語っちゃいますと…。

 

先ず、例えば売上の好調な店と不調な店では、どちらのほうが時間かかるでしょうか?

 

私なら好調な店です。

 

と言うのも、「何をしてくるのか?」なのです。

 

スーパーバイザーというのは、掃除はどうだ?雰囲気はどうだ?料理はどうだ?接客はどうだ?っていうところを単純にチェックして回るのが本質的な仕事では無いんです。

言うなれば、その辺のチェックは情報集めに等しい側面なのです。

 

売上の乏しい店舗は、努力するべき余白がたくさんあります。あるのに出来ないのです。では何が理由にあるのか?

 

ラソンなら、走り方かスタミナ(基礎体力)か?精神的なことか。コースの問題か?まで幅広く要因を探る必要があり、ちょこちょこと指導しましたでは追いつかないし、そもそも現場が精神的に追い込まれて疲弊してしまいます。

でも、大概のスーパーバイザーは低調な店舗にほど売上を上げるためにへばりつき、スタッフを責め立てて頭抱えながら店を後にします。店はさらに空気を濁し、結果を出せなくなるのです。

 

ちゃんとした責任感のあるスタッフ達なら、店の成績が低調であることが本意ではないんです。だから、基礎から見直すなり、コース変えるなり、とにかくサラッと次の課題を残して去ってやるべきなんです。もちろん、現場側が率先して意見を求めてきたらしめたもの!その時はたっぷりつきあってあげるのです。

 

その意味はこの後さらに深めます。

 

さて、好調な店はというと…。

 

これまた大概のスーパーバイザーは、好調だから心配ないね!とサラッと現場を去ります。

 

私なら好調な店ほど目を光らせます。

でも、態度には出しません。好調な店はそのままでいいよとは済まさないということです。

 

これもマラソンで例えると、なかなか全力で走っているランナーに、さらに走れ走れと並走して煽らないという意味です。好調なんですから力あるんです。その力をさらに引き出して上げるのがスーパーバイザーで、さらにそのためには、スタンダードなチェックしてたって見えてきません。

そうです、シューズを見直すがごとく、食事を見直すがごとく、フォームを見直すがごとく…。コンマ何秒を求めるアスリートの努力に応えるような感じ。だってそもそも好調ってことは回転数が高いんですから、そこを計らないと絵に描いた餅ってバイジングになりますから。

 

そういう取り組みを引き出すためにヒアリングが増えます。現場からもコミュニケーションが増えるはずです。

 

だから結果時間かかかってしまうので、好調な店は長くなりがちなのです。

 

要するに、スーパーバイザーの武器は円滑な卓越したコミュニケーションなのです。コミュニケーションに質が伴わないと、その店は衰退し始めるのです。

 

そして、チェックするのがSVの軸では無く、コミュニケーションが軸であり…、

 

SVの本旨は支援です。

 

後方支援!

 

だから、頭高くいたって意味無いんです。

 

共に戦友として戦う支援者なのだと思って頂きたいと思います。

 

今日はここまで☺️👍

 

千里の道も一歩から…😁😌☺️

千里の道も一歩から…説明は不要でございましょう。

 

どれだけ壮大な夢や計画も、先ずやらねばならないことは最初の一歩をしっかりと踏み出すことから始まるのですね。

 

しかし、その一歩かどんな一歩か?ってところがあまりクローズアップされませんね。

 

私の好きな例えに、次のようなものがございます。

 

「段取り八分」

 

仕事は段取りが大切で、上手くいくかいかないかはその最初の準備がとても影響しますよって感じのことです。

 

ん?千里の道も一歩からだが、段取り八分ってことは?

 

そう、最初の一歩はすでに最初の一歩ではないんです。

 

本当の最初の一歩ってのは段取り、つまり目標設定とか(事業)計画とかそんなとこです。

 

その背景が成立してからいよいよ本当の最初の一歩が踏み出せるのです。

 

建築だって、実際の最初の一歩は例えば材木を組むとか釘を打つとかのアクションであって、建てるべき場所の側にその材料を置いてその側に釘と金づちを置いておこうってのは段取りの話。その段取りってのが確実性や効率等を下支えします。

 

でも、本質的にはこの段取りがその後の結果の良し悪しをとても左右するんです。影響力が違うのです。

 

つまり、目に見えるアクションが最初の一歩ってことで世間的には認知されますが、本質的には最初の一歩はまだアクションが表に出てないところが本来の最初の一歩ってこと。

 

つまり段取り。

つまり目標や計画。

 

だからとても大切なのは計画性の向上なのです。

 

そこが背中を押し、迷いを和らげ、行き先を明るく照らし、しっかりと一歩を踏み出すのですね。

 

ということは、計画の立てかたや立てる力はとても重要な要素でありますね。

 

しっかりとその辺りを身につけていきたいものです。

 

今日はここまで☺️👍

「何もしない上司」が実は優秀だった…?ドラッカーが説くマネジメントの「鉄則」(現代ビジネス)

「何もしない上司」が実は優秀だった…?ドラッカーが説くマネジメントの「鉄則」(現代ビジネス) https://news.yahoo.co.jp/articles/69b6676b8b0e877cdb6589489726d694e79fac6c

 

ずいぶんと昔の話になりますが、ある企業の従業員教育の依頼をうけて訪ねた時のこと…。

 

専務さんが隣におられましたが、私のやり方ってものもありますので、気にせずスタッフさんとコミュニケーションをとっておりました。

 

そこで…私はこのように申しあげました。

 

「もし、この世に最高のサービスってものが実存するとしたら…それは特別な接客なんか何もしてないのに喜んでもらえるってことかな」

そしたら、その専務の顔がみるみる赤くなって「何を教えてるの!」と怒鳴られました。

 

「ちゃんとこの後意味のある話しますから」

とその場をなだめましたが、とにかく教育に自信を持っていたらしく、たぶん私のやり方見てやろうって上から目線がすごい方でしたので、ほんとにやりづらかったことを思い出します。

 

スタッフさんは、どうやらこの専務さんが苦手のようで、それは見たらすぐわかりましたが、まぁ、感情優先の管理教育では当然の結果とも言えます。

 

話戻します。

 

何もしないことが最高のサービス…この意味、ちょっと難しいけど皆さんわかりますか?

 

要するに、環境も最高、商品も最高、タイミングも最高、値段もリーズナブル、そしてお迎えとお見送りに笑顔があれば完璧!でも、それって最初からあってしかるべきというお客様の期待ですよね。

 

もちろん、価値に相応した最高でいいんですよ。ファミリーレストランで高級ホテルレストランのクオリティを求めていることがすでに間違っていますし。

 

お客様が落としてくださるお金に相応した範囲での最高ってことです。

 

そういう意味で、私とても気を遣っておりまするぅ➰っていうわざとらしい接待なぞ無くても、お客様が認識している一通りの接客があれば、誰も文句無いのです。

 

いくらパッとした演出などなくてもお客様は何も不満に思いません。究極な話ですが、期待を裏切らない一通りの時間と商品があれば先ずは納得なんです。

 

期待を裏切らないスタンダードのサービス。

 

ところが、それが何より継続できない。

 

忙しさに振り回され、時に声を荒げたり、商品が雑になったり…。いつもできることができなかったり。繁忙期にはとてもありがちですが、実は閑散期にもよく見ますね。スタンダードのロスは繁閑という言わば針が振り切る時に、より心の緩みが出ちゃいます、

 

だからこそ、時にそこを逆手にとって活気という環境にすり替えたような手法を用いることも少なくありません。

 

自宅近くの、とある最近流行しているテイクアウト専門店に行った時のこと…。

 

あいよ~!あいよ~!

 

ってな感じでキッチンとカウンターに分かれて景気よく掛け合いしておりましたが…。

 

よく眺めていると、単純にお客様に商品渡したり、レジ対応したり、オーダーとったり、お客様の入店とお帰りの時の単純な掛け声に過ぎず、あとはペラペラと私語を続けているだけでした。

私の弁当の蓋が閉まる前からペラペラペラペラと…おい!唾が入るわい、頼むから黙って蓋閉めろや!

 

2mも離れていないところで私(お客様)がいるのにです。

 

そんなのは活気では無い。

 

大手企業のシステマチックなやり方の歪みです。そしてそのしわ寄せはお客様に戻るのです。

 

こういう部分の怖さを知ると…基本を基本としてしっかり取り組みきることが次の一歩の土台なんですね。

 

スタンダードのキープ力があっての次の価値が活きるのです。

 

新しいことはわずかに時が過ぎればそれはもう最新ではありません。

同じく、スタンダードを継続しなければ、新しい取り組みの深化はあり得ません。

 

新しいことをしなければ何もしていないのでは無いのです。今存在するベースが新しいことへの踏み台なのです。

 

先に述べた企業は、とにかくスタッフ教育が苦手でした。当然です。スタンダードのキープを教えられないのです。

 

ほんとにキープできるなら、奇を狙ったアクションなどそうそうは必要ない…スタンダードが荒れるから右往左往してしまうのですね。

 

何もしないのと、何もできないのと、何もわからないこと、何もする必要が無いこと…これらは全て意味が違います。

 

そしてそれは管理職にも全く同様に言えますね。

 

何もしなくていいように今を眺められることが大切なのです。

 

その意味がわからないと、ボーっと生きちゃうことになります。

 

視点がブレないような仕事が価値のある結果を呼び込みます。

 

今日はここまで☺️👍

 

 

守る…😌😌😌

守る…という言い方にはたくさんの意味があります。

 

子供を守る…

家族を守る…

仕事(立場や部署)を守る…

会社を守る…

町を守る…

自然を守る…

国を守る…

 

そして、自分を守る…

 

人、自然、経済活動、災害や病気…根本的には先ず自分を守る…自分を守れることにより、他を守れる存在がそこに生まれます。

 

大切なこととして、全ては行動が土台にあり、そしてその背中には想いや祈りや覚悟が支えとなっていることでしょう。

 

ひと昔前のドラマで、海の開発における自然破壊に立ち向かうというものがありました。未来の人々の為に守っている…。

 

50年後の為に木を植えていることも未来へむけて…。

 

守るということは未来に繋ぐということです。

 

国を守るということはスケールがでかすぎて一般人にはなかなか手が届かないことです。

 

一方、家族を守るということは家長の最大義務です。

 

会社を守るということは社長の双肩に重くのしかかることです。

 

自然を守るということはその地域の協力があってのものです。

 

同じく地域一番企業になるには、その地域の支持が必須です。

 

人(企業)の心が強く響き伝わり、継続し、支持され、逆に守られる絶好の範囲って、地域一番企業なのです。

 

私はそれを真剣に取り組んでいる企業や従業員に対し尊敬すら覚えます。

 

何を大げさなと笑うかもしれません。

 

しかし、真剣で価値のある信念は時として周りには滑稽に思われるものです。だからこそ本質的に価値があるのです。

 

国単位の愚かな発言や行為のほうが、よっぽど時間が風化してくれます。

 

一方、地方となると実はとても根深く伝承されてしまいます。

 

そのリスクをわざわざ語る必要はありません。そのリスクを決して軽んずべからずと心に刻めば、後はそれぞれの歩幅で進めば良いのです。

 

大切なのは誇りと信念と、それに伴う行動。

 

貴方がもし、一国一城の主を夢見たのなら、それだけは忘れないようにと願います。

 

今日はここまで☺️☺️☺️

基本に戻れ…🤨😳😁🖐️

いつも点いていた店の灯り…蔓延防止の政策の背景がランドタワーたるあの見慣れたレストランの灯りを奪っている。

 

百貨店がクラスターの煽りで休業をする。

 

誰も悪くない。ひたすらに見えない敵(ウイルス)との闘いがそこに存在しているだけ。その闘いがたくさんの困難を増殖する。

 

政府は未だに大きな決断を避け、結局は現状からの対処療法的な手段を採るだけ。

 

西村大臣の「より強烈な処置も検討する必要がある」の発言は笑った。

 

あの人に言い方は、まるで自粛の足らない一般人を責めてるが如くの言い種と感じざるを得ない。

 

断言できる。危険の迫る状態の中で、四方八方の全てが丸く収まる手法など無い。

 

それは企業も同じ…大切なのは何(の手段)があるかでは無く何(の手段)を実行するか。つまり勇気のある実行力なのだ。実行力が実効力を従うのだ。

 

全てのバランスを計りすぎるが故に全てのアンバランスを生む。

 

たくさんの手段はたくさんの方向性を伴う。

 

決定的な手段の選択は、確実な方向性だけを示す。

 

危険が迫る状況の中で選択する手段はなるべく単純であるべきだと思う。

 

そしてブレない、迷わない。

今の日本はそこが欠けている。

 

…と思う。

 

そこまで事業ってのはたくましい訳ではない。

 

中小企業なら尚更である。

 

正当な競争の中で淘汰される企業なら、それは必然である。しかし、このコロナ禍での企業の耐久性はそもそも想定外なのだから、こういう時にこそ政治がしっかりしなければならない。このような有事の為に普段通常において、我々は納税し(政治家には)大金の報酬を得させる環境を受け入れているのだから…。

 

もうこれ以上無策的に自粛や我慢を要させることには懐疑である。

 

経済を止めるなら、次が最後の覚悟でやってほしい。

 

未だ全国的に緊急事態宣言をと全国自治体連合の一部が正式発言しているようだが、もはやそんな場合ではない。

 

しっかりリーダーシップ執れないなら、税金払わねーぞ!

 

危機には単純な取り組みが効果的なのだ。

 

基本に戻れ!

 

金を握らせて一定期間行動を禁ずる。もちろん最小限の期間で。その保障は徹底して行う。

 

肝は最小限の期間と保障を徹底してということ。

 

これは戦略である。

 

と叫びたい…今日はここまで🤨🤨🤨

 

要る?…🤔🧐🤨

「めくら判(盲判)」
書類を精査しないまま承認・決裁を意味する判を押す(押印する)こと、およびそのように精査せず押された印影のこと。決裁手続きが形骸化していることを端的に示す語として用いられる。

 

今は差別用語として使うべきではない表現となりましたが、ちょっと前までは普通に使っていた言葉です。

 

この行為自体は、今だ普通に蔓延(はびこ)っています。

 

ほんとに仕事と経費が増えるだけの所業です。

 

一方においては、効率やら削減やらと声高々に言っといて、何か事件や問題が提起されその解決案として書類作成が絡み、まぁだんだんと慣れてこの有り様に変貌すること…とにかくいくつも見てきました。

 

判子文化も結構ですが、その判子にしっかりと意味を持たせないルーティンは意味をなさないです。

 

脱判子と言いながら、飲酒やコロナ禍においての対応に、上場大手ですら未だま書類作成に判子要ですもん。とにかく1日判子10~20回は押す現場、私の回りにも結構あります。

 

サインじゃダメなん?って思いながら、私のシャチハタもインク補充がマメですやんw

 

押した判子も誰が確認してるのか?って思う程、縦に並ぶ私の名字にすごくデザインを感じますw

 

良くないのは、そのことすら気づかないで押す側も押させる側も、ただ押せばいい、押させればいい、みたいな感じになっていることがこの上なく残念。ひたすら再検することのない紙が増えていく無駄。

 

電子判子も注目されていますが、ただ押されていればいいってノリの書類はサインだけでいいんじゃね?って常にモヤモヤしております。

 

ま、そうなるとサインも要らねーってツッコミが聞こえてきそうですがw

 

今日は深夜に書類つくりしなきゃならなくてナチュラルハイになっているので気分転換のUPでして…w

 

今日はここまで😳👍

 

要請…🤔🧐🤨

緊急事態宣言…

蔓延防止等重点措置…

要請…要請…要請…

 

なぁんか何かで、またはどこかで、さていつだったか…

 

似たような、体験したような…。

 

あぁ、昔勤めていた会社が倒産に向かっていく何の手も打てない状況の時の感覚だ…。

 

美味しいモノをだせ!

良い接客をしろ!

お客様の満足を追及しろ!

 

わかってます!

そこが大切で追及せねばならないことは重々わかってます。

 

そうその頃も、食材(牛肉)に強烈に影響する感染病に振り回されました。狂牛病がとてつもなく大きな爪痕を残した頃でした。

 

牛肉を扱う飲食店は軒並み大ダメージを受けました。

 

あの頃、精神論では解決できない現実に押し流され、そして押し潰されていきました。

 

まったく、今思い出しても、迷いそして混乱する、まともな対応策が探せない頃でした。

 

今思うに、大切なのは手を打ちながらの精神論なんです。

 

デメリットにはメリットを、ましてできるだけデメリットを上回るメリットを与える努力、または策があってこそ精神論を際立たせるのです。

 

ただただ、要請要請要請って。

 

もう効果が無いことは明白ですよね、昨今の感染増加をみたら。

 

人流を抑える手を、超法規的な処置において一気にやる。やったらそれ以上のことはけして行わない…ってなくらいの相当な覚悟の策を国や行政が選択しないと、もう国民の判断に委ねる時期はとうに過ぎたと思います。

 

オリンピックが悪いんじゃない。なぁなぁに追い込まれて薄い手の内で突入した精神論優先の総理のあり方が招いた現実です。

 

会社もそう。

 

無理やりのコストカットや頑張れ頑張れの精神論等、どちらかに偏り過ぎた手立ては必ず破綻します。

 

バランスに最大限留意して乗り越えることが大切だと感じます。

 

その為に、思いきった施策たるリミッターを外すにあたっては、一歩遅れると百歩の差が生まれるなぁって思います。

 

要請って言葉にいつまでもぶら下がって結果出せないくらいなら、守った人や会社には御礼(金)、守れない人や会社には罰(金)…等、今の日本では超法規でも、海外のロックダウンはそれくらい徹底してます。

 

もちろん歓迎される施政ではない…でも、もう緊急事態と思わせてくれない宣言は、いたずらに経済を弱体化するだけと切に思います。

 

今日はここまで😳👍