東日本大震災から明日で13年になります。
今朝のワイドショーでは幼稚園へロケに行っておりまして、地震の時にどのような行動を取れば良いかをクイズしており、そのシーンをレポートしておりました。
そのワンシーンで…
先生)
地震の時にはどうしたらいいでしょーか?
①その場で暴れまわる
②大人の人をさがしてそばにいる
③机の下に隠れる
手を上げる割合ですが、①はゼロ、②はチラホラ、おおよその園児は③で手をあげました。
レポーターが近くにいる園児に目配せをしたとたん…
だって、周りのコップやガラスやお皿が割れて頭に飛んで来るかもしれないでしょ?頭に刺さったらケガするでしょ?もっと大変になるでしょ?逃げるのに大人にも迷惑になるでしょ?
と、流暢に大人に説明をします。レポーターはどうして③なのかと聞いたわけではありません。ところかまわず話し始めるのが園児だと言えばそれまでですが、私はここにたくさん大人も見習うポイントがあると思いました。
ちなみに、机の下に隠れるという行動は果たして安心なのかと疑問を投げかける防災コンサルタントもいるようですが、今の多数派の意見で今回は話を進めます。
さてこの園児(達)、先ずは親御さんの防災に関する躾が背後にあることが伺えます。躾とは自ら気付くことはなかなかできません。やはりなんと言っても教えてもらうことが躾の基礎です。大人の世界であるお仕事で言えば、マニュアル、ルール、コンセプト、フィロソフィー(理念)、これらはすべて包括的には躾に当たります。これらは教えるのです、本人が気づくのではありません。
実に明確なガラス等々の落下とケガの危険性があるから…これは親御さんの躾であるティーチングの賜物であります。
その後、レポーターの目配せに気づいた園児は反射的に話し始めるのです。
あ、理由が欲しいのかな?どうして③なのか知りたいのかな?
または大人顔負けの忖度で、この大人にもちゃんと理由を教えて覚えてもらおうと思ったとか、もしかしたら僕頭いいでしょと誇りたかったのか笑
この積極性は将来に活かしてほしいですね笑
いずれにしても主張があり確信もあるようです。
さらに驚くのは、大人の足を引っ張る訳にいかないというような、まさに大人顔負けの気づきです。
親御さんが子供に、あなたにケガされたら逃げるのにもっと大変になるんだからちゃんと自分の身は自分で守るのよ!と躾したとも思えません。まぁ、そういう事を言いそうな親御さんもいるかも知れませんが、おそらくそういう躾をすると子供も②が一番のリスクヘッジだと考えちゃうかもしれませんね笑
おそらく、親御さんのアプローチがあったとするならば、あなたがケガでもしたらお母さん(お父さん)は悲しいよ、だから絶対慌てないで机の下に隠れて大人の助けを待つのよ!
位のところだと想像するのです。そういう躾の家庭の子供が、僕がケガしたら親も大変なはずと気づけたならば、まさに理想の子育てであります。
あくまでも私の子育て理想論はさておき、この場合の気づきがお仕事に換言するならばコーチングの賜物となるわけです。結論を自分(本人)で導き出したと錯覚させるような巧みな手法って感じであります。
つまり、コーチングはティーチングの下地があって成立し、ティーチングの精度はコーチングで上げていくって感覚であります。
なんと言っても…安全なところに逃げろ!は気づきではなく躾なのです。安全となるならばアレだ!コレだ!ココだ!というところから気づきとなります。
ちなみに、取材の対象になるくらいですので、立派なお名前の幼稚園でのレポートでした笑
気づきって選択肢(引き出し)の多さでもあるのですね。
これとあれって選択肢より、これとあれとそれって選択肢のほうがより結果に結びつきやすい…つまり気づきとは選択肢の量とも言えます。
打ち合わせや会議で発言が少ないのは、選択肢が増やせ無いから。その時気づかないことも後から気づくことは山ほどあります。それは反省とか様子見してたらとか、色々な要素で導きだしますね。ところが気づけない人はずっと気づけないのです。判断や経験から導く選択肢が狭いからすぐにキャパオーバーしてしまうからですね。ならば不断の努力をもって、たくさん経験し教わり(インプット)発言して実行して判断してもらう(アウトプット)ことが何より基礎であり、そこに広がりをつけるのに目標目的を設定し足るべき相手にコーチしてもらう…ということが本道であります。
なぜそこに行きたいかということを認識させないでそこに連れて行ったら、結果としてそこでまた立ち止まり迷ってしまいます。
育てるとは終わりの無い旅ですから、まさに子供を育てることと同じ…たかがTVショーのひとネタと侮らずに、こういうことから気づきのトレーニングをすることが人生楽しいですね笑
今日はここまで😏👍