独自性…まぁ言っちゃえば個性ですね。
他には無い、選びやすい、送り手も受け手も双方が安心できる確かなもの、オリジナリティ、アイデンティティなんてのがその内包された意味でしょうか。
ただ奇抜なだけでは受け手が困る、ただちょっと変化しただけなら送り手が不安(似たようなものがあることそのものをしっかり認識している証拠)だし、独自性ってものはとても近くて且つとても遠いものであります。
〇〇専門店…これは独自性が生んだ究極の表現ですが、一方でそのような店が(市場規模として)増えれば増えるほど、併せ持つ独自性という血は確実に薄まります。
そこで、同カテゴリ―の中でさらなる独自性を求める…それも支持を得られればその独自性そのものが繁殖を始め、いつの間にか再び独自性というものの濃度が薄まった状態になってしまう。独自性ってやつはいとも簡単に変異コピーを経て増殖するんです、プランクトンの赤い海の如くに。
こうして、プランクトン(供給側)の異常増殖(供給過多)により健康であったはずの小魚(需要)の酸素を奪い死に至らしめる(重要減少、市場縮小)ことになります。はい死のレッドオーシャン出来上がり。
そうした商法商品は過去にもたくさんありました。とはいえ全てが消滅しているわけではありません。形を変えたりするものもあるかもしれませんが、長い時間変わらず残っているものもあります。
それらはまた新たな独自性を放ち生存しています。
そういうものって割と安価なものに多いような気もしています。
長い時間をかけて生き残ったそれらのアイテムは、もはや相当に長い時間を揉まれまくってきたものなので、独自性という概念そのものが無用というか、完成されて弄ったらいけないものになっているのでしょう。
B級グルメってやつで、私が子供の頃から親しんでいたモノたちは、今でも形を変えずに求められています。
一例とすれば…たこ焼き、クレープ、焼きそば、焼売、肉まん、バナナチョコ…。
(。´・ω・)ん?
はい、気づきましたか?
そうです、侮ってはいけません。屋台のメニューって、即時性と独自性において既存市場に対する重要なメッセンジャーなんですよ!!
今はね、コロナ禍で祭りも中止になり花見も自粛になり、なかなかお目にかかれなくなっておりますが、屋台って高価な割に楽しくてついつい買っちゃうでしょ?
キャンプに似てて、外で食べる○○は最高!って雰囲気の部分の味付けが濃いのも、その独自性を支えるひとつではあります。でもね、既存市場のコピーで小銭集めてるんじゃなくて、相当に計算してあのわずかな店舗(と言っていいのかな?W)でしっかり売り上げるんですから、すごいです。屋台って独自性のヒントの宝庫だと若いうちから思ってましたが、今はさらにその思いが強いです。
ちょっと前に流行ったタピオカドリンクだって基は屋台。何なら寿司って屋台。ラーメンだってそばうどんだって屋台が基って文献は数多くあります。独自性って屋台から強烈に電波発信しているのです。
今は大手ファミリーレストランがキッチンカー出してるらしいです。
?って思うところに独自性のヒントが眠っています。侮らずに刮目しましょう!
今日はここまで😄👍